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東京高等裁判所 昭和44年(う)1043号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人鹿野琢見、同三枝三重子及び同桜井千恵子共同作成の控訴趣意書記録のとおりであり、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事土田義一郎作成の答弁書記載のとおりであるから、これ等を引用する。

論旨第一点の一について

所論は、原判示第一の事実につき、被告人の行為は、正当な医療行為であるのに、これを認めなかつた原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

よつて、按ずるに、証拠に照らすと、被告人は、産婦人科専門医師に過ぎず、本件手術当時においては、いわゆる性転向症者に対する治療行為、特に本件のような手術の必要性(医学的適応性)及び方法の医学的承認(医術的正当性)について、深い学識、考慮及び経験があつたとは認めがたい上、原判示のように、本件手術前被手術者等に対し、自ら及び精神科医等に協力を求めて、精神医学乃至心理学的な検査、一定期間の観察及び問診等による家族関係、生活史等の調査、確認をすることもなく、又正規の診療録の作成及び被手術者等の同意書の徴収をもしておらず、又性転向症者に対する性転換手術を医療行為として肯定しない医学上の諸見解があることが認められ、これ等の事実とその他被告人の捜査官に対する供述調書等諸般の関係証拠とを総合考察すると、被告人が技術的に性転換手術を施行する能力のある医師であり、一応性転向症者であると推認しうる被手術者等の積極的な依頼に基き、性転換手術の一段階として本件手術をしたものであり、性転向症者に対する性転換手術が次第に医学的にも治療行為としての意義を認められつつあるのであつて、本件手術が表見的には治療行為としての形態を備えていることを否定できない旨の原判示は、これを概ね肯認できること及び所論の縷説するところを考慮しても、被告人に被手術者等に対する性転向症治療の目的があり、被手術者等に真に本件手術を右治療のため行う必要があつて、且本件手術が右治療の方法として医学上一般に承認されているといいうるかについては、甚だ疑問の存するところであり、未だ本件手術を正当な医療行為と断定するに足らない。原判決が、性転向症者に対する性転換手術が法的に正当医療行為として評価されるために必要な条件を掲げ、本件手術が右条件に適合しない点が多いので、これを正当な医療行為として容認できない旨判示しているのは、その表現において右判示するところと稍異るけれども、略同旨であると考えられるのであつて、正当な結論であるというべく、その他記録を精査し、且当審における事実取調の結果を併せ検討しても、原判決に所論のような事実誤認があるとは認められない。論旨は理由がない。

同第二点の二について

所論は、原判決第一の事実につき、本件手術は、優生保護法第二八条の対象にならないのに、本件手術に同条を適用した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがある、というのである。

よつて、按ずるに、同条にいう手術は、同条の文理と検察官の答弁のように、同条が比較的人身に対する影響の少い優生手術でさえ、正当の理由がない限り一般的にこれを禁止していることに鑑み、身体に種々の障碍を生ずるおそれの大きいいわゆる去勢手術を禁止することは、合理的な措置であるというべきことに照らすと、所論を考慮しても、所論のように優生手術のみに限らず、原判示のように本件手術のような去勢手術をも含むものと解するのが相当であり、又同条にいう生殖を不能にすることを目的として手術……をしてはならない旨の文言を原判示のようにその手術により生殖が不能になることを認識して行えば足りる旨解することは、文理上いささか無理があるが、本法の趣旨に鑑みれば合理的で正当な解釈であると考えられ、且被告人に右認識があつたことは明らかである。然らば、本件手術が同条の構成要件に該当するものと認定した原判決は正当であつて、所論のような法令適用の誤りがあるとは認められない。論旨は理由がない。〈以上省略〉(脇田忠 高橋幹男 環直弥)

弁護人の控訴趣意

第一点 原判決は明らかに判決に影響を及ぼす事実誤認の誤りがある。

一、原判決は優生保護法違反被告事件につき、被告人は「法定の除外事由がないのに故なく生殖を不能にすることを目的とし」大坪一麻ら三名に対し睾丸全摘出手術をしたとして有罪の判決をしたが、被告人の本件行為は正当な医療行為であるから無罪である。

(1) 原判決は、大坪ら三名の被手術者はいずれもいわゆる性転向症者であること、被告人は産婦人科医として性転換手術を施行する能力ある技術の秀れた医師であること、本件各手術は被手術者から性転換手術をしてほしいと積極的に依頼されたものであることの各事実を認定し「したがつて被告人の本件手術は性転向症者に対する性転換手術の一段階と見うるから表見的に治療行為としての形態を備えている」と認定しながら、被告人は本件手術に際し、(イ)被手術者らの精神医学ないし心理学的検査を全く行わず一定期間観察を続けていたこともない(ロ)家族関係生活史等に関し問診をせず調査確認が全くなされていない(ハ)単独で手術に踏み切り精神科医等の検査、診断を仰ぐこともなく他の専門医等と協議検討をすることもしていない(ニ)正規の診療録も作成せず、被手術者から同意書をとることなどのこともせず極めて安易に手術を行つた。したがつて「軽率の謗りを免れないのであつて」「正当な医療行為として容認することはできない」とする。

しかしながら、被告人は原判決も認めるように長年産婦人科医をつとめ、かつ造膣手術等もそれまでにいくつか経験し、本件手術までに多くの被手術者らと同様の悩みをもつものに接し観察して性転向症については深い関心と知識をもつているものである。そして、右経験をふまえて大坪には手術の説明をした後一昼夜の考慮期間を与え、渡辺に対しては手術申込のあつた後ある程度期間を経て手術を施行しているし、横山に対してもそれなりに問診を行い、手術に際しては他の医師の立会を求め、又同意書をとらなかつたといつても本人が同意以上の依頼を繰り返えしていたものであり、これらの事実に照らしてみても本件手術を以て「軽率の謗りを免れない」と断ずることは事実に反するものである。

(2) 原判決がいうように、精神科医の診断を仰いだり、精密検査を受けた方がよりベターであつたといえるかも知れないが、右は本件手術にとつて不可欠の要件であろうか。右が欠けることが直ちに医療行為を違法なものにするのであろうか。治療行為としての条件は一般には①治療に関する科学及び技術について一般的に認められた能力ある者の行為たること、②治療行為の方法、手段は専門的に一般に承認されたものたること、③治療行為に際しては緊急を要する場合を除いては本人の承諾又は本人に承諾能力がないときは配偶者保護者の承諾を得ることといわれている。右①③の要件を本件手術が充していることは原判決も認めるところであり、②についても本件手術が性転向症者に対する性転換手術の一段階として行われたものであることは前示原判決の認めるとおりであり、その方法は専門的に一般に承認される方向に向つていることが明らかである(イラ・B・ポーリー「性転換手術の現況」証人および鑑定人高橋進・同堀内秀の当公判延における各供述)。したがつて右三要件を具備する本件手術は正当な治療行為と認めてしかるべきである。

イラ・B・ポーリーも「より徹底した適正に統制された研究が必要であるという保守的な弁解は、現実に苦悩している人々に対する人間的な姿勢により鎮圧されるべきである」(イラ・B・ポーリー前掲書)と述べており、原判決指摘の要件を適法とするための不可欠な要件に加えることは治療の前進をこばみ、消極的な医師に責任のがれの口実を与える結果となりにわかに賛成できないものである。

原判決はこの点につき治療行為の解釈をあやまり法令適用の違反をおかしたものである。

(3) 更に本件手術の場合、前示原判決指摘の要件は結果的にみれば全て忘れていたと同様な状況にあつたものである。

すなわち原判決によれば

(イ) 事前の検定・観察を要するのは「性転向症を装つている者や手術癖のある者が手術を受ける危険性をなくし」「性転向症者であつても一時的な感情の動揺に支払されて手術を受けてしまうことを避け」「精神症や神経症と合併している場合」をチェックするためである。たしかに安易に手術を行うときは右のような弊害を生ずる危険があるからそれをチェックしあやまちを犯さないようにするためには、指摘のような検査観察によることが妥当といえるかも知れない。しかしあくまでもあやまつた手術をしないための方法であり手段にすぎない。仮に右の方法によつたにもかかわらず誤つて性転向症者でない者に対し右手術を施した場合にはやはり正当な治療行為とはいえないであろう。

ただ、医師にその点についての過失がなければ責任を免れるにすぎない。要は患者に対し施された治療が適切妥当であつたかどうかが正当な治療行為といえるか否かを決めるものといわなければならない。そして本件の場合、被手術者たちはいずれも性転向症者であり、かつ精神症、神経症が合併している場合と認めるべき証拠は全くなく又被手術者たちが一時的な感情の動揺によつて手術を受けたものでないことは、彼らがいずれも高校生又はそれに近い年頃から手術を希望していたこと、いずれも睾丸摘出手術後数ケ月を経て再び陰茎切除手術のために被告人の許を訪れており、仮に睾丸摘出手術を後悔しているなら再び同一医師の許を訪れるとは考えられず、右の事実からみても被手術者たちは本件手術に満足していると思われること、現在でも満足している旨本人自ら述べていること(以上証人大坪・同渡辺・同横山の当公判廷における各供述)等より明らかであり、本件手術がこの点において正当であつたことは明白である。

(ロ) 第二に、原判決は家族関係、生活史の調査を要するものとし、それらは「患者の精神と肉体の不均衡を減少させるため肉体を変更して精神的安定をもたらし、社会適応性を付与することに積極的意義があるのであるから、その患者がこれまでどのような環境においていかなる人間関係を形成してきたか、また将来どのような生活の場を得られるかを調査する必要があり」、特に本件の場合被手術者らは男娼であつたからより慎重を要するものであるとする。

原判決の指摘は抽象的にはそのとおりであるかも知れないが本件手術は原判決が懸念するような事態をもたらしてはいないものである。

手術前は学業を放棄し、いわゆるゲイの世界に身を投じ自ら男でも女でもない悩みに苦しみ続けてきた被手術者たちは、手術後はゲイの世界から足を洗い、一人の女性として職業をもち、普通の男性と同棲生活を送り早く過去を忘れて一人の女性として幸せに生きることのみを願つているのである。手術前より社会生活により適応し、今後は更により幸せな人生を送れるであろうことは明らかであり、又男娼であつたからといつて、むしろ手術前は自己の性的特異性により営利を得ていたものを、手術をしたことにより、一人の女に生れ変り、営利行為は一切していないのである。右事実によれば、被告人において生活史等の調査が不十分であつたとしてもそれによる弊害は全くなく、本件手術の正当性を疑わしめる点は全く存しないものである。

(ハ) また原判決は精神科学的な治療の可能性を配慮し、患者の選択について他の専門科医と協議するべきであつたこと、被手術者から同意書をとるべきであつたことをあげる。しかしながら以上のべた事実からみても本件手術において患者の選択を誤つてはいないこと、同意の点についてもたしかであることは疑う余地がないものである。

以上いずれの点よりするも、本件手術が正当な医療行為であつたとの点を疑わしめる余地はなく、治療行為としての要件を全て充しているものである。しかるにこれを正当な医療行為と認めない原判決は事誤認であり、同時に治療行為の解釈をあやまり法令適用のあやまりがある。

第二点 原判決は明らかに判決に影響を及ぼす法令適用の誤りがある。

二、本件手術は優生保護法二八条の対象にはならないから、本件手術に同条を適用したことはその適用をあやまつたものである。優生保護法二八条が禁止の対象としている手術とは同法所定の手術、すなわち「優生手術」と「人工妊娠中絶」を指すもので同条はこの二つの手術の技術的制限規定にすぎないと解すべきである。このことは、同法一条において「この法律は優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに母性の生命健康を保護することを目的」としていること、同法の解釈としては一般に「理論的に違法性の阻却を認めることのできる場合、とくに法令の規定を設けてその合法性を注意的に明らかにするとともにその方法範囲などにつき技術的な制限を置いた」(団藤、刑法綱要総論一四七頁)優生学的断種は同法以外の方法で行うことを許されないが、社会的断種、治療的断種についてはそれが法的に理由のあるときは許されうる」(木村亀二刑法総論二九一頁)と解されている点から明らかである。そして本件手術は性転換手術の一環としての治療的医学的去勢であるから同条の対象にはなりえない。又同条構成要件の「生殖を不能にさせることを目的」としていないから、この点からも同条を適用することはあやまりである。〈以下省略〉

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